徐福真的是日本人的祖先嗎?(最終話)

好了,終於輪到我們按捺不住洶湧小情緒的日本選手發言了。

日本的維基百科上有以下的記載。

青森県から鹿児島県に至るまで、日本各地に徐福に関する伝承が殘されている。徐福ゆかりの地として、佐賀県佐賀市、三重県熊野市波田須町、和歌山県新宮市、鹿児島県いちき串木野市、山梨県富士吉田市、東京都八丈島、宮崎県延岡市などが有名である。

徐福は、現在のいちき串木野市に上陸し、同市內にある冠嶽に自分の冠を奉納したことが、冠嶽神社の起源と言われる。ちなみに冠嶽神社の末社に、蘇我馬子が建立したと言われるたばこ神社(大巖戸神社)があり、天然の葉たばこが自生している。 丹後半島にある新井崎神社に伝わる『新大明神口碑記』という古文書に、徐福の事が記されている。

徐福が上陸したと伝わる三重県熊野市波田須から2200年前の中國の硬貨である半両銭が発見されている。波田須駅1.5kmのところに徐福ノ宮があり、徐福が持參したと伝わるすり缽をご神體としている。

徐福が信濃の蓼科山に住んでいた時に雙子が誕生した。雙子が遊んだ場所に「雙子池」や「雙子山」がある。

徐福に関する伝説は、中國・日本・韓國に散在し、徐福伝説のストーリーは、地域によって様々である。『富士文獻』は富士吉田市の宮下家に伝來した宮下家文書に含まれる古文書群で、漢語と萬葉仮名を用いた分類で日本の歴史を記している。富士文獻は徐福が編纂したという伝承があり、また徐福の來日した年代が、『海東諸國記』の孝霊天皇の頃という記述が『宮下文書』の記述と符合することが指摘される。ただし、宮下文書はいわゆる「古史古伝」に含まれる部類の書物であり、文體・発音からも江戸後期から近代の作で俗文學の一種と評されており、記述內容についても正統な歴史學者からは認められていない。

可以說中文嗎?

No problem!

小編給大家簡單翻譯一下。上述文字的中心思想就是日本很多地方都有徐福的傳說。從青森到鹿兒島,而且各地都貌似都搶著爭著當徐福的第一落腳點,一點也不矜持。

有雕像為證。

徐福真的是日本人的祖先嗎?(最終話)

大家好,我是和歌山的徐福。

徐福真的是日本人的祖先嗎?(最終話)

巧了,我是鹿兒島的徐福。

徐福真的是日本人的祖先嗎?(最終話)

為什麼你們跟我長的都不一樣,我是山犁的徐福

總之,日本的徐福像太多小編就不多舉例了。

佐賀では2008年、15年と2度「徐福國際シンポジウム」が開かれている

上面這個就體現日本人的嚴謹性了,佐賀在2008年和2015年召開了兩次國際研究會。為了搞清祖宗是誰也真是下了血本了。

關於是否認中國的徐福當祖宗的事情確實應該慎重對待,不能馬虎,所以必須召開國際研究會。

一次研究不出來,那就兩次。

最後の結論は現時點では「徐福は神武天皇」という説を肯定することも、完全に否定することもできない

最後的結論就是徐福是不是日本人的神武天皇這個事情,憑藉目前所掌握的資料和證據,既不能完全肯定也不能完全否定。

這兩次會算是白開了。不過這個結果真的是滴水不漏啊,沒毛病。

這個時候小編不禁扼腕嘆息,如果當時有現在的科技水平,來個有圖有真相的小視頻,才,那才是實錘啊。

最後一句話兼聽則明偏信則暗。


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