1894年9月17日,即中日甲午战争平壤陷落的第三天,在鸭绿江口大东沟附近的黄海海面上(今东港大鹿岛南面海域),爆发了震惊中外的中日甲午黄海大海战。这是人类战争史上第一场大规模铁甲舰海战。这是一场空前惨烈的大海战,作为人类史上第一次完全由蒸汽动力军舰参加的大规模海战名留海战史册,成为人类海战历史的一次标志性战役,也是一场几乎影响了中国近现代历史的海战。此战虽然中方失利,但表现出了中方作战人员的英勇。在开局就不利的情况下打出如此战绩已属不易。黄海海战中方战败的原因很多,今天我们仅从作战时中日双方的军事实力方面分析做一下对比。
中方参战军舰参数
<table><tbody>舰名
舰种
排量
(吨)
马力(匹)
航速(节)
火炮(门)
鱼雷(具)
乘员(人)
舰长
制造地
下水(年)
服役(年)
定远
铁甲舰
7335
6200
14.5
22
3
331
刘步蟾
德国
1882
12
镇远
铁甲舰
7335
6200
15.4
22
3
331
林曾泰
德国
1882
12
来远
巡洋舰
2900
4400
14
16
2
202
邱宝仁
德国
1887
7
经远
巡洋舰
2900
4400
16
14
4
202
林永升
德国
1887
7
致远
巡洋舰
2300
7500
18
23
4
202
邓世昌
英国
1886
8
靖远
巡洋舰
2300
7500
18
23
4
202
叶祖珪
英国
1886
8
济远
巡洋舰
2300
2800
16.5
11
4
204
方伯谦
德国
1883
11
广甲
巡洋舰
1300
14.2
11
2
180
吴敬荣
中国
1887
7
扬威
巡洋舰
1350
2400
16
18
3
135
林履中
英国
1881
13
超勇
巡洋舰
1350
2400
16
18
3
135
黄建勋
英国
1881
13
平远
近海防御铁甲舰
2100
2400
11
11
1
145
李和
中国
1889
5
广丙
巡洋舰
1000
16.5
11
4
180
程璧光
中国
1891
3
日方参战军舰参数
<table><tbody>舰名
舰种
排量(吨)
马力(匹)
航速(节)
火炮(门)
鱼雷(具)
乘员(人)
舰长
制造
下水(年)
服役(年)
吉野
巡洋舰
4150
15000
23
34
5
360
河原要一
英国
1893
1
浪速
巡洋舰
3709
7604
18
28
4
357
东乡平八郎
英国
1885
9
高千穗
巡洋舰
3709
7604
18
28
4
357
野村贞
英国
1886
8
秋津洲
巡洋舰
3100
8400
19
22
4
330
上村彦之丞
日本
1892
2
松岛
巡洋舰
4278
5400
16
29
4
360
梶本知道
法国
1892
2
严岛
巡洋舰
4347
5400
16.5
31
4
360
横尾道昱
法国
1891
3
桥立
巡洋舰
4217
5400
16.5
31
4
360
日高壮之丞
法国
1894
1
比叡
巡洋舰
2284
2515
13.5
8
2
321
樱井规矩之左右
英国
千代田
巡洋舰
2439
5678
19
24
3
306
内田正敏
英国
1891
3
扶桑
旧式铁甲舰
3777
3650
13
8
2
345
新井有贯
日本
1879
15
赤诚
炮舰
622
1963
10
4
0
126
板元八郎太
西京丸
武装商船
2913
387
12
4
0
桦山资纪
日本
1888
6
中日参战力量简易对比
<table><tbody>参战舰数
总吨位
火炮总数
参战总人数
中国
12
34470
200
2500
日本
12
39450
251
3282
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