05.29 宇多田光的20週年:用歌詞寫“詩”的三個階段

デビュー20週年、新作「初戀」に込めた思い

出道20週年、新作《初戀》所注入的情懷

日本のポピュラー音楽の歴史を変えたシンガー・ソングライターの宇多田ヒカルさん。彼女はいつも言葉とともにあった。15歳でデビューした時も、初アルバム「First Love」が國內最大のヒットとなって生活が一変してしまった時も、母を亡くした時も。デビュー20週年を迎える今年、新人の小袋成彬さんのプロデュースを初めて手がけた。6月に新作「初戀」を発表し、年末には約12年ぶりとなるツアーを行う。そんな宇多田さんに、紡いできた言葉について、20週年を迎える心境について、じっくり語ってもらった。

宇多田光是改變了日本流行音樂的創作型歌手。她總是與歌詞同在,不管是在她15歲出道的時候,還是因第一張專輯《First Love》火遍日本而完全改變了自己生活的時候、抑或是其母親去世的時候。今年迎來出道20週年的她,首次為新人小袋成彬操刀擔任製作人。即將在6月推出新作《初戀》,年末舉辦暌違了12年的巡迴演唱會的她對自己創作的歌詞有何感想?又是以怎樣的心境來迎接自己出道20週年的呢?

宇多田光的20週年:用歌詞寫“詩”的三個階段

20年続けるということ

堅持20年這件事

「よく20年もずっとやってきた。感慨深いです」

“堅持了20年。感概頗深”

何かを尋ねると、丁寧に言葉を選び、しかし率直に話す。

記者向她提問時總是問得很婉轉,而她卻回答得很坦率。

デビュー曲「Automatic」がいきなりヒット。「First Love」は767萬枚を売り上げて、いまだに歴代最多売り上げアルバムであり続けている。共感しやすくカラオケで歌いやすい「小室サウンド」が世を席巻した中、宇多田は鮮烈な歌詞を、心を揺らすビートに乗せて歌い上げた。確固とした「個」を持つ表現者がシーンの中心に躍り出たのだ。ただ、幸せなことばかりではなかった。

出道歌曲《Automatic》一炮走紅。 專輯《First Love》銷量767萬張,至今保持著歷代銷量最高的專輯記錄。 當小室哲哉因那些很容易引起人們共鳴和膾炙人口的歌曲而席捲日本時,宇多田用生動的歌詞和震撼人心的節奏放聲高歌。堅定地保持著“個性”的她進入了大眾視野的中心。 然而,她並不是一帆風順。

「環境の変化や、それによって起きた様々なことがすごくつらくて。無理だと後悔したこともありました」

“環境的變化和由此產生的各種事情讓我覺得非常痛苦。 也曾經因為覺得太勉強而後悔過”

それでも続けたのは「やらざるを得なかったんだろうな」と、遠い目をした。「スタッフ、父親、母親、音楽を聴いてくれる人。いろんな人が音楽を続けられる環境を作ってくれました」

即便如此她望著遠方繼續說到:“但我別無選擇”。 “工作人員,父親,母親,聽我音樂的人。各種各樣的人給我創造了一種可以繼續做音樂的環境”

これまで書きためた日本語詞を、自ら3期に分けている。宇多田にとって音楽を作ることは「明るみに出ていないものを探しに行く作業」で、第1期はこれを無意識に行っていた時期。それを意識的に、より深く探しに行けるようになったのが第2期。活動休止を経て、さらに己をさらけ出し、日本語詞にこだわりを持つようになったのが第3期だ。

她把自己迄今為止寫過的日文歌詞分為3個階段。 對於宇多田來說製作音樂是“探尋出那些隱藏著的東西”,第1階段是無意識向前進的時期。 第2階段是在意識到之後變得可以更深層探尋的時期。 第3階段是經過隱退之後,進一步揭示自己,對寫日文歌詞變得更加考究。

宇多田光的20週年:用歌詞寫“詩”的三個階段

第1期 なんとなく

第1階段 不知不覺

母親は歌手の藤圭子、父親は音楽プロデューサーの宇多田照實。幼少の頃から親が作詞作曲したり、録音したりするのを當たり前のように見て育った。

宇多田光的母親是歌手藤圭子,父親是音樂製作人宇多田照實。她從小就是看著父母作詞、作曲、錄音長大的。

12歳で親の勧めで英語で作詞作曲を始め、14歳の頃、「日本語でやってみたら」と言われて、初めて書いたのが、「First Love」に収録した「Never Let Go」。「真実は最高の噓で隠して 現実は極上の夢でごまかそう」という大人びた歌詞で、渋く退廃的な雰囲気も漂う。なぜこんな曲が書けたのか?

12歲時在父母的勸誘下開始寫英文歌,14歲的時候,父母讓她“試著用日語寫詞”,她創作的第一首日文歌曲是收錄在專輯《First Love》中的《Never Let Go》。“真實是用最大的謊言去隱藏 現實是用最好的夢去欺騙”這種老成的歌詞中帶有一絲痛苦和頹廢的氛圍。 為什麼她會寫出這樣的一首歌呢?

「他者を通して世界を理解しようとしていた。その他者が、私にとっては親だった。親たちの戀愛を自分なりにかみ砕いて理解しようとしていました」

“試圖通過別人來了解這個世界。這個別人對我來說是我的父母。 我試圖用自己的方式去理解父母的愛情”

宇多田光的20週年:用歌詞寫“詩”的三個階段

第2期 意識して

第2階段 意識

経験を重ねるにつれ、作詞作曲に加え、編曲やプロデュースも自ら手がけるようになる。「無意識にあるものをすくい上げる作業」を意識的にできるようになってきた。

隨著經驗的積累,宇多田光開始在作詞作曲的基礎上,親自編曲並擔任製作人。 逐漸意識到“無意識間把某種東西挖掘出來”。

この頃、「traveling」や「SAKURAドロップス」などのヒット曲を出しているが、第2期を象徴する歌詞として挙げるのは、4作目「ULTRA BLUE」(2006年)に収録した「日曜の朝」だという。「お祝いだ、お葬式だ ゆっくり過ごす日曜の朝だ」と、家族や社會で求められる役割に左右されない本來の自分の姿を淡々と歌った。「すごく『私だなあ』って感じられて、好きですね」

那時,雖然出現了《traveling》和《櫻花翩翩》等熱門歌曲,但要說到第2階段代表性的歌詞,應該是收錄在第四張專輯《ULTRA BLUE》(2006年)中的《星期日早晨》。 “不管是祝賀、是葬禮 星期天早晨就是該悠悠的過”她用歌聲淡淡的述說著自己不想被家人和社會賦予的角色所左右。 “這首歌非常能感受到‘自我’、我很喜歡”

宇多田光的20週年:用歌詞寫“詩”的三個階段

第3期 こだわり

第3階段 考究

10年、ブログに「『人間活動』に専念しようと思います」とつづり、活動休止に入った。電話の契約をしたことも、飛行機や新幹線のチケットを買ったこともないまま20代後半になり、音楽だけを作り続ける狀態をアンバランスだと感じるようになっていたのだ。

2010年,宇多田光在博客上宣佈想把重心轉移到“正常生活”上,然後停止了各種活動。 從未簽約過電話的合同,從未購買過飛機或新幹線的票,到了20歲後半段的她感受到了自己只做音樂帶來的不均衡感。

そこで、ロンドンに移住し、不動産屋で部屋を探し、水道や電気を契約、ゴミを出す日を確認――。當たり前の営みを自ら行い、音楽業界以外の様々な人と觸れ合った。日本語に觸れる機會も小説や詩に限られた。

於是,她搬到了倫敦,去房產中介找房子,籤水電合同,確認丟垃圾的日子。所有力所能及的事情都身體力行,接觸了音樂行業以外的各種人群。僅在看小說和詩歌的時候才使用日語。

「人間活動」を経て、作風は劇的に変化する。活動休止中だったが、アニメ映畫のテーマソングとして「桜流し」を発表した。「開いたばかりの花が散るのを 見ていた木立の遣る瀬無きかな」という歌詞。「それまで絶対書かなかった、ちょっと古い感じの表現」

經過一段“正常生活”之後,她的作品風格發生了巨大的變化。 雖然是在隱退狀態中,但仍然發佈了一首動畫電影的主題曲《櫻花流》。歌曲中有這樣一句歌詞“就像看到剛剛綻放的花朵散落卻無能為力的樹一樣黯然傷神”。她說 “以前的我絕對寫不出這樣的詞,稍微有點復古的感覺”。

13年に人生の一大事に襲われた。母・藤圭子の死だ。「心に浮かぶのは、笑っている彼女――娘であることを誇りに思います」とブログに記した。16年の「Fantome」では母への思慕を歌に昇華させた。「花束を君に」は「普段からメイクしない君が薄化粧した朝」と、死に化粧を想起させる痛切な言葉でつづった。約2年ぶりとなる新作の題名は「初戀」にした。「1作目から約20年。私の核にある、表現しようとする主題はずっと一貫していること。表現者としてこれだけ変わったこと。同時に見えてすごくスッキリするタイトルです」

2013年,宇多田光遭遇了人生中的一件大事,就是是母親藤圭子的死亡。 她在博客中寫到“心裡浮現出的總是那個在笑的她――以我這個女兒引以為豪 ”。16年的專輯《Fantome》中,她將對母親的思戀昇華為歌曲。《將花束獻給你》中“平時不化妝的你畫上了淡妝”這句歌詞用痛徹心扉的語言回憶起母親去世時化的妝。 她為睽偉2年發行的新歌取名為《初戀》。 “距離自己創作的第一首作品已經有約20年了。我的內心想表達的主題始終是一致的。只是作為表現者有所改變。並且這個歌名看起來非常清爽”

宇多田光的20週年:用歌詞寫“詩”的三個階段

作曲後に歌詞

先作曲再寫詞

宇多田の歌詞には、いつも驚かされてきた。しかしながら、曲作りのプロセスで歌詞は最後。

宇多田的歌詞一直令人驚歎。 然而,在創作的過程中她卻是把寫詞放在最後。

「何か言葉じゃないものがあり、形にしようとする時、それが絵になる人もいるし、ダンスの人もいる。私は一度音楽を挾みます」

“當人們試圖塑造一些無法用語言表現的東西時,有的人是畫畫,還有的人是跳舞。而我則是浮現出音樂。”

ピアノやギターなどで作った曲を聴きながらイメージを膨らませる。「ここのメロディーは『あ』で終わりたい、ここは小さい『ッ』」。俳句や短歌のように、言葉になる前の細かい“制約”を増やしていくうちに「私が言いたかったのはそれか」と思い至る。

一邊聽著用鋼琴、吉他創作的歌曲,腦海中的畫面一邊不斷閃現。 “這裡的旋律想以‘あ’結束、這裡想用小‘ッ’”。 就像俳句和短歌那樣,在歌詞寫好之前增加一些細小的“限制”的過程中,思考“我想說的是那個嗎”。

「シンガー・ソングライターって、簡単に言うと歌人ですよね」

劇的な歌詞は、実話でも作り話でもないという。例えば「Automatic」の「七回目のベルで 受話器を取った君」、「花束を君に」の「今日は贈ろう 涙色の花束を君に」といった印象的な歌詞について。「7回目のベルで相手が受話器を取ったことはないし、母親に涙色の花束を贈ったこともない。ディテールを入れることで、そのまま説明する以上の情報量で表現できる。それが詩です」

扣人心絃的歌詞既不是真實的也不是虛構的。 比如《Automatic》中“電話響到第七聲 你接起了電話”、《將花束獻給你》中“在今天將這泛著淚光的花束贈予你”等這些給人留下了深刻印象的歌詞的真實情況其實是 “電話響到第七聲時對方並沒有接電話,我也從未給母親獻上過泛著淚光的花束。通過加入細節,就能體現出更多不言而喻的信息量。這就是詩”

宇多田光的20週年:用歌詞寫“詩”的三個階段


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