北京のコンビニ

東京から北京に戻って飛行機から降りるなり、花粉症は消え去り、目のかゆみは和らぎ、鼻水もひたすらに出続けることもなくなり、空気も乾いていて、爽快な気分となった。

しかし不便に感じることもある。東京では數百メートルも行かないうちにコンビニを見つけられたが、北京、とくに中関村では、「百度地図」を開いて仔細に付近のコンビニを探しても、見つけることができない。東京とは比べようがないどころか、実際のところ、北京は上海とも比べようがない。

北京には7158人につき1軒のコンビニがあるだけだという報道を見たことがあるが、どうやら本當に貴重なものらしい。北京のプチブルやサラリーマンは少なくないのに、どうしてこの階層にサービスするコンビニだけが少ないのか。

実は、私の住まいから直線距離にして300メートルのところにコンビニがあるのだが、私がそこへ行くのは、基本的にはスーパーマーケットに行くような感覚であり、一度行くと山のような商品を買って帰る。私の住まいからコンビニに行くためには道路を橫斷しなければならず、道路の真ん中には金屬製の橫斷防止柵が設置されていて、そのために300メートルの直線距離が1000メートル以上歩かねばならなくなってしまい、コンビニ(便利店)が「便利ではない」のである。

北京のコンビニ

晝間、コンビニはそれでも賑わっていて、特に晝食時や夕食時には、多くのサラリーマンがここで弁當を買っている。しかし夜8時以降になると、ここに買い物に來る人はほとんどいなくなり、サラリーマンがいなくなった都市の中心部、私の住む高層ビルが林立する場所は、本當に住む人が稀となる。

北京のコンビニの特徴を「3つの半分」、すなわち「通りの半ば、半日、半年」と総括する人がいるが、まったく同感である。確かに私の家の300メートル向こうのコンビニは通りを半分行かねばならず、24時間営業の店なのに、夜8時以降の12時間はほとんど客がいない。北京の冬はものすごく寒く、晝間でも買い物に來る人は多くない。北京は「コンビニの墓場」という人までいるが、それが誇張し過ぎだとは思わない。

北京は広大さを感じさせる場所であり、コンビニ(便利店)のような「便利」というコンセプトは、広大さを追求するときには自然と脇に追いやられてしまう。數からみると、北京には現在1500軒程度のコンビニがあり、上海の5000軒餘りとは比べようがなく、かつサービスは極めて単一的だ。コピーをとりたくても、宅配便を出したくても、學校帰りの子どもを店で1、2時間遊ばせておきたくても、ここでは絶対に不可能だ。

東京から北京に戻り、北京の花粉のない空気を味わう時、數歩行けばあるコンビニで挽きたて100円コーヒーを味わうことまでは、望めないということなのだろう。

中國日本商會HP 2018年8月14日

北京のコンビニ


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